徳島地方裁判所 昭和47年(行ウ)2号 判決 1980年2月29日
原告 浜本多恵子
補助参加人 成田晴子
被告 徳島大学学長
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 原告の請求の趣旨
1 (第一次請求)
被告が原告の昭和四七年三月一五日付在学期間延長申請に対してなした同月三〇日付不許可処分(以下「本件処分」という。)を取消す。
(第二次請求)
本件処分は無効であることを確認する。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 被告の答弁
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 原告の請求原因
1 原告は、昭和三五年四月に徳島大学医学部医学科に入学し、同四一年三月同学科を卒業、同四二年四月に同大学院医学研究科博士課程に入学し、同四六年三月三一日に、同四七年三月三一日までの同課程在学期間の延長を許可された。
2 そして原告が同四七年三月一五日付で更に同四八年三月三一日までの在学期間延長の許可申請(以下「本件申請」という。)を被告になしたところ、被告は同四七年三月三〇日付で、右延長を許可しない旨の本件処分をなした。
3 しかしながら、本件処分には次のとおり瑕疵がある。
(一) 徳島大学大学院学則(以下「大学院学則」という。)二〇条二項によれば、同大学院医学研究科については「博士課程の最短在学年限は四年とする。ただし、特別の事情がある場合は、更に四年を限り在学を許可することがある。」旨規定されている。
ところで、徳島大学学則(以下「大学学則」という。」にはその二八条で、大学学部につき「在学八年(医学部医学科学生は一二年)に及んでも、なお、所定の試験に合格しない者に対しては、学長は、これを除籍する。」旨の規定があるが、大学院学則では除籍の規定はない。これは、大学院院生が、学術の理論及び応用を教授研究し、その深奥を究め、もつて文化の進展に寄与する有為な人材を養成することを目的とする(大学院学則一条、学校教育法六五条参照)大学院の院生であつて、必要科目の履修と学位論文審査合格により大学院研究科を修了するものであることによる。
従つて、右大学学則、学校教育法六五条の趣旨等に鑑みるならば、徳島大学大学院院生は、その最短在学年限は四年であるが、必要な単位の修得及び博士論文の作成の上、最終試験に合格しない場合には、更に四年間、当然に大学院院生としての身分を保有して学問の研究に従事できるものであつて、前記大学院学則二〇条二項にいう「許可」とは、講学上の許可もしくは認可とは異なり、右当然に保有された大学院院生としての身分を確認するための手続行為に他ならないものと解すべきである。ゆえに、被告は原告から一年毎にその在学期間の延長の申請があれば、原告に退学もしくは除籍事由がない限り、右延長の許可をなすべく、原告の大学院院生としての身分を剥奪することとなる不許可処分をなすべきものではないところ、原告には右のような事由はなかつた。
また、前記学校教育法の趣旨等に照らすならば、少なくとも、前記大学院学則二〇条二項の許可は、大学院院生に在学期間延長の意思がありさえすれば同項にいう「特別の事情」があるものとして与えられるべきであり、懲戒(大学学則五二条)にも比すべき事由がある場合のみ不許可となし得るにとどまるものと解すべきである。しかるところ、原告には右のような事由はなかつた。
(二) 原告のなした本件在学期間延長申請は、単位未修得及び学位論文未完成を理由とし、保証人を訴外山本光代として、昭和四八年三月三一日までの一年間の在学期間の延長を内容とするものであつたところ、被告は、右山本は保証人として不適当であることと、成業の見込なきこととを理由として本件処分をなした。しかしながら、右山本は徳島大学の文部教官であつて、同人の保証が不適当であるとはいえないし、当時原告は博士課程の履修科目中副科目二単位を残しているのみで他の必要科目と単位は履修済みであり、目下博士論文作成のため研究中であつたのであるから成業の見込がなかつたということもない。このことは、原告が昭和四七年三月一五日に本件申請をなす以前である同月八日に、原告の主任教授である梶本義衛教授が一旦は在学期間延長願書に認印を押して本件申請に同意したのにもかかわらず、同月一五日に原告が右願書に保証人を右山本(当時、いわゆる徳大闘争により懲戒停職処分中)としてこれを被告に提出したところ、同教授が態度を一変させて、保証人を変えねば本件申請に賛成しないとの態度を示し、結局右保証人の問題により本件処分がなされるに至つたことに照らしても明らかである。
(三) 本件処分は学校教育法六五条、憲法一四条、二三条、二六条に違反し、著しく教育目的を逸脱した権利濫用にわたるものであること次のとおりである。
(1) 原告は、徳大闘争の結果六カ月の停職処分を受けた右山本光代を守る会の一員として活動をしたことがあり、被告が、一連の学内闘争を嫌悪して、その活動家の一人である原告にその報復として本件処分をなしたことは明白であるから、本件処分は、思想、信条に基づく差別によりなされたものであつて憲法一四条に違反する。
(2)原告は、本件処分当時、博士課程の履修科目中副科目二単位を残すのみで他の主科目、副科目、選択科目の単位は履修済みであり、かつ博士論文作成のため研究中であつた。しかるに本件処分は、原告にとつて実質的には退学処分であつて、その結果として、その能力に応じた教育を受ける権利及び学問の自由を侵害するものである。大学院は、学術の理論及び応用を教授研究し、その深奥をきわめて、文化の進展に寄与することを目的とする「学校教育法六五条)ものであるから、在学期間延長の許否はかかる教育目的から決定されるべきものであつて、本件処分は、原告の前記権利を無視し、かつ教育目的を逸脱してなされた権利濫用にわたるものといわねばならない。
4 右各瑕疵は本件処分の取消事由に当たり、また、右瑕疵は重大、かつ、明白のものであるというべきであるから、原告は被告に対し、第一次的に本件処分の取消を、第二次的に本件処分が無効であることの確認をそれぞれ求める。
二 請求原因に対する被告の認否及び主張
1 請求原因1及び2の事実は認める。
2 同3のうち、(一)中の原告主張の各学則の存在及び(二)中の原告主張の本件申請の内容、原告主張の単位履修状況は認めるが、その余の事実は否認する。
3(一) 大学院学則二〇条二項の解釈に関する原告の主張は失当である。同条項は、徳島大学大学院医学研究科博士課程の最短在学年限は四年であつて、同課程の大学院学生は、右四年が経過すれば、別に同条項所定の在学期間延長の許可がない限り、当然に大学院学生としての身分を喪失することを規定したものと解すべきである。従つて、右在学期間延長の許可とは、本来であれば大学院学生としての身分を喪失する者に対して、特別の事情があることを理由としてその身分を継続して保有させるところの、講学上の特許に当たる行政処分であつて、原告主張の如き、右四年経過後も当然に保有された右身分の存在を確認するための手続行為であると解すべきものではない。被告としては、右最短在学年限を越えて在学を希望する大学院学生に対して当然に同条項所定の在学期間延長の許可を与えねばならないものではなく、右許可を申請する者につき退学もしくは除籍事由あるいは懲戒にも比すべき事由がないとしても、同条項所定の特別の事情がないと認められば右許可をしないことができるのである。
そもそも、大学院の最低修業年限(在学すべき期間)については、大学のそれと同様、国の法令で規定されているところであつて、大学院に関しては、大学についての学校教育法五五条(医学及び歯学の部において医学又は歯学を履修する課程については、その修業年限は六年以上とする旨規定する。)のような規定が同法上に直接規定されていないが、大学院は博士その他の学位を授与する機関であり(同法六八条)、それらの学位を授与する要件としての在学年数に関する「学位規則」(昭和二八年文部省令第九号)の定めとの関連上、その最低修業年限は、博士課程にあつては五年以上(医学又は歯学の研究科にあつては四年以上)とされているのである。
そして、右「六年以上」、「四年以上」などとある趣旨は、あくまで最低修業年限(在学すべき期間)の意味であり、大学学生又は大学院学生は少なくとも右年限は修業せねばならないことを意味しているに過ぎないのであつて、右学生らが右六年又は四年の年限を超えて大学又は大学院に在学し得ることを定めたものではない。一方、学生の在学関係等身分取扱いに関する事項(例えば学生の入、退学、進学の課程の修了及び卒業等)を定めるについては、学校教育法及び関係法令で規定した範囲内で、大学に広い裁量権が与えられており、徳島大学では右裁量権に基づき、前記大学院学則二〇条二項で、大学院医学研究科博士課程の最短在学年限を四年とし、特別の事情があれば更に四年の限度内で在学を許可することがあると定めて、同課程において在学すべき期間を四年とし、在学し得る期間を原則として四年、例外として右許可があれば八年までとしているのである。
なお、原告主張の大学学則二八条に規定する除籍とは、同学則一四条で認める最長在学期間一杯まで在学したが所定の試験に合格しないため卒業できず当然に学生の身分を喪失した者につき被告が事務手続上そのことを明らかにする行為に過ぎず、それにより学生の身分を喪失させる効果を有する行為ではない。一方、徳島大学大学院においては、前記大学院学則二〇条二項により、同大学院医学研究科博士課程についてはその最長在学期間が原則として四年(最短在学年限でもある。)とされているので、右年限在学しても未だ単位未修得、博士論文未完成の学生に対しては、退学か同条項の許可を得ての在学期間延長かいずれかの措置をとるべく指導しており、右いずれの措置もとらない学生は、右年限の満了によつて当然に大学院学生としての身分を喪失するため、やはり事務手続上そのことを明らかにするため除籍の措置がとられる。従つて、前記大学学則二八条の規定があるからといつて、前記大学院学則二〇条二項を原告主張の如くに解さねばならないものではない。
よつて、同条項は、前記被告の主張の如く解されるべきものであつて、原告の請求原因3(一)の主張は失当である。
(二) 被告が本件処分をなした理由に、前記山本光代が保証人として不適当であることは挙げられていない。被告が本件処分をなしたのは、以下のとおり原告につき前記大学院学則二〇条二項所定の「特別の事情」がないと考えたからである。
すなわち、右「特別の事情」とは、同条項の趣旨から明らかなように、在学期間延長の制度が本来恩恵的なもので、最短在学年限でやむをえず大学院を修了し得なかつた者に対してできる限り所定の課程を修了できるよう教育的配慮に基づいて設けられた制度であることに鑑みれば、最短在学年限の四年で大学院医学研究科博士課程を修了し得なかつたことが当該学生の責に帰すべからざる事由に基づくものであり、かつ、今後一定期間内に成業の見込のあることが明らかであることを意味するというべきである。そして、右「成業」とは、所定の単位を修得し、博士論文を完成し、最終試験に合格することにとどまらず、博士課程が「独創的研究によつて従来の学術的水準に新しい知見を加え、文化の進展に寄与するとともに、専攻分野に関し研究を指導する能力を養う」ことを目的とする(大学院学則三条三項)ことに照らし、教育研究の指導者たるにふさわしい能力と研究態度を身につけることをも含むものである。
しかるところ、原告には、次のとおりの事情により右「特別の事情」に当たる事由がないものと認められる。
(1) 原告は、昭和四二年四月徳島大学大学院に入学以降、しばしば指導教官の指導に従わなかつた。
すなわち、原告は大学院学生として指導教官の指導に従うべきは当然であるのに、大学院入学時、指導教官であり主任教授である梶本義衛教授の勧める研究テーマを拒否してその指導に従わず、同四四年七月一二日徳島大学医学部基礎医学棟が封鎖されて以降は、右封鎖が三週間で解除されて研究可能の状態に復元したのにかかわらず同四六年三月末まで全く研究活動をなさず、同年四月に一年間の在学延長を許可されるや、梶本教授の、従来のテーマにより研究を完成させ、かつ、未修得単位を修得するようにとの指導に従わないで、研究テーマを変更し、かつ、同教授の再三の勧めにもかかわらず、大学院入学以降同四七年三月までの五年間に一度も学会発表をなさず(大学院学生は、自己の研究テーマにつき在学期間((通常四年))中に少なくとも一、二回は学会発表をするのが通例である。)、同年四月末にようやく薬理学会において、右変更後のテーマにつきごく一部の研究結果を発表したに過ぎない。
(2) 原告は、昭和四六年四月一日から同四七年三月三一日までの在学期間延長に際し、医学研究科委員長四方教授及び右指導教官梶本教授から研究態度等につき厳重な注意を受けたにもかかわらず、右注意事項を履行しなかつた。
すなわち、右延長の理由となつた単位未修得は原告が前記のとおり同四四年七月から同四六年三月まで故なく研究を放棄した結果であるから、本来は延長を認めるべき筋合ではなかつたのであるが、原告から、従来の態度を反省しており今後一年間右梶本教授の指導の下に研究に努め、未修得単位を修得する旨の申出があつたため、被告も特に右延長を許可し、その際右四方教授及び梶本教授は原告に対し、右のように特に延長を許可されたのであるから、梶本教授の指導に従つて研究に専念し、未修得単位を修得するよう厳重に注意した。しかるに、原告は、右延長後も右注意事項を履行せず、出校状況も悪く、遂に単位未修得、博士論文未着手の状態で同四七年三月に至つた。
(3) 原告は、右延長により大学院入学時から既に五年在学したにもかかわらず、未だ学位論文作成に着手できる状態に至つていないのみか、学位論文提出の前提となるべき必要科目の単位すらも修得し終えていない状態である。右単位の点についてみれば、五年を終えてなお単位未修得の事例は徳島大学大学院においては過去において皆無である。
(4) 前記基礎医学棟封鎖が原告の履修状況の著しい遅延についてその責に帰すべき事由に当たらないことは、前記のとおり右封鎖が三週間で解除され、原告の研究の意思さえあれば右解除時から研究可能な状態にあつたことにより明らかである。
(5) 前記山本光代が保証人として不適当であることが本件処分の理由とされていないことは、前記のとおりであるが、右保証人に関する事実も、成業の見込がないことの事情として考慮されるべきである。
すなわち、右山本は徳島大学において懲戒処分により停職処分を受けていた者であり、かような人物が保証人として不適当であることは当然である。しかるに、原告は前記梶本教授が真に原告の研究、勉学の保証人たり得る者を保証人として立てるよう示唆を与え、現に指導を受ける研究室の助教授倉本昌明も自ら保証人になることを申出ていたにもかかわらず、これを拒否し、あえて自己の研究科目とは関係のない講座に属し、しかも停職中の右山本を保証人として立てたものであり、このような原告の態度は、大学院において教官から指導を受けつつ勉学、研究をしようとする意思のないことの一つの例証である。
(6) 原告は、昭和四七年四月一日徳島大学大学院学生の身分を喪失したことにより、同日以降大学施設の利用関係が終了したにもかかわらず、その後も引き続き違法に大学構内に立入り、関係者の退去通告、説得を無視して、別紙(一)ないし(四)記載のとおり各種の妨害行為を重ね、もつて学内の教育的環境の維持を困難ならしめている。
右は、本件処分後の事実であるが、本件処分の違法性判断の基準時は口頭弁論終結時と解すべきであるから、当然右事実も右判断の基礎とすべきであり、しからずとしても、本件処分の適法性(原告が指導教官の指導に従わず、成業の見込がなく、再延長を許可すべき特別の事情はないと判断したことの適法性)を裏づける間接事実として考慮し得るものである。
よつて、原告の請求原因3(二)の主張も失当というべきである。
第三証拠<省略>
理由
一 請求原因1及び2の事実、並びに同3のうち(一)中の原告主張の各学則の存在、同(二)中の原告主張の本件申請の内容及び原告主張の単位の履修状況については、当事者間に争いがない。
二 まず、原告は博士課程の在学期間延長許可は単に大学院院生としての身分を確認するものにすぎないと主張する(請求原因3(一))ので、右在学期間延長の許可について規定する本件徳島大学大学院学則二〇条二項の趣旨について判断する。
成立に争いのない乙第一ないし六、一七号証、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる甲第一一ないし一五号証に学校教育法の修業年限、学位等に関する規定を総合考慮すれば、大学及び大学院における修業年限については、法令上所定の年限が要請されているところであつて、大学の医学の学部については右年限が六年以上、大学院の医学の研究科(博士課程しか置かれない。)については同四年以上とされていること、しかし右修業年限とは修業すべき年限(在学すべき年限)の意であり、右六年以上あるいは四年以上とされているのも、その範囲で当該学校の修業すべき年限が定められていれば足りるとの意に過ぎず、各大学及び大学院に対して、修業すべき年限を定めるに当たつての下限を六年あるいは四年と制限したものであつて、当該学校の学生が六年以上あるいは四年以上修業、在学し得ることを認めたものではないこと、一方、大学及び大学院に在学して修業し得る上限としての最長在学年限については当該学校の裁量により定められることとされているところであつて、大学院の医学の研究科につき見ると、学校によつてはこれを単純に八年と定めて、学生が当然右年数の間在学できるとしながらも、成業の見込がない場合は同期間内でも除籍される(学生としての身分を失うに至る。)とするところもあれば、徳島大学大学院のように、特別の事情がある場合は最短在学年限(前記修業年限の意)の四年を超え更に四年を限り在学を許可することがある旨の前記大学院学則二〇条二項の規定を設けているところもあること、徳島大学学則二八条には原告主張の除籍に関する規定があるところ、同大学院学則には除籍の規定がなく、大学院学則に規定しない事項については大学学則の定めるところによるとされているが、右大学学則の除籍の規定とは、同学則で、最長在学年限が最短在学年限の二倍として単純に規定されその二倍の年限までは当然在学できるとされている大学学部学生につき、最長在学年限に及んでもなお所定の試験に合格しない者に対し除籍がなされるという趣旨の規定であつて、そこにいう除籍とは、前記のような最長在学年限内でもなされ得る除籍とはその性質を異にするものであるし、また大学学部学生とは最長在学年限の定め方を異にする同大学大学院学生に適用する余地がないものであること、更に、同大学院学則には前記在学期間延長許可に関する規定とは別個無関係に、退学、懲戒に関する規定がある(同学則で大学学則の定めるところによるとされている場合を含む。)ことが認められ、右認定に反する証拠はない。
以上の事実によれば、前記大学院学則二〇条二項の趣旨は、徳島大学大学院医学研究科の学生は、最短在学年限の四年が経過すれば同条項所定の在学期間延長の許可がない限り当然に大学院学生としての身分を喪失するものであり、右許可は、本来右最短在学年限で博士課程を修了することが原則とされている同科学生に対し、特別の事情があることを理由としてその在学期間を延長して学生としての身分を右四年を超えて保有させ、もつて同課程修了の便宜をはかろうとするところにあり、右許可もかかる見地から右特別の事情があると判断される場合に与えられる恩恵として、自由裁量に属する行為と解すべきであり、右許可は右四年を超えても当然保有される身分を単に確認する手続行為に過ぎないから退学もしくは除籍事由がない限り許可されるべきであるとか、右許可申請があれば懲戒にも比すべき事由がない限り当然右特別の事情があるものとして許可されるべきであるとかいう原告の主張は、到底採用し得ない。
従つて、原告に右退学、除籍事由又は懲戒にも比すべき事由がなかつたとしても、右許可をしない旨の本件処分が直ちに違法のものとなるわけではなく、請求原因3(一)の主張は失当である。
三 そこで、大学院学則二〇条二項に則り、本件在学期間延長につき同条項所定の特別の事情があつたか否かにつき更に判断する。
ところで、右特別の事情とは、同条項の前記趣旨に鑑みれば、本来の修了年限である最短在学年限四年で徳島大学大学院医学研究科博士課程を修了できなかつたことにつき合理的な理由があり、かつ、在学期間を延長して修業することにより同課程修了の見込があることをいうものと解するのが相当である。そして、前掲乙第二号証によれば、大学院学則一〇条一項で同課程の修了とは、専攻科目につき五〇単位以上を修得し、かつ学位論文を提出し、所定の試験(いわゆる最終試験)を受けこれに合格することであり、そもそも同課程は、独創的研究によつて従来の学術水準に新しい知見を加え、文化の進展に寄与するとともに専攻分野に関し研究を指導する能力を養う(同学則三条三項)こと、すなわち、教育研究の指導者たり得る人材の養成を目的としているものと認められるから、同課程修了の見込とは、右一〇条一項所定の事項を完了するとともに右のような教育研究の指導者たるにふさわしい能力をも具備する見込(以下「成業の見込」という。)をいうものと解するのが相当である。
そこで、右見地に立つて、本件処分当時原告に前記特別の事情があつたかどうかについてみるに、前記争いのない事実に、成立に争いのない甲第一号証の一ないし四、第六ないし九号証、乙第七号証の一ないし四、第九号証の一ないし三、第一五、一六号証、証人今井勝行の証言により真正に成立したと認められる甲第三ないし五、一六号証、証人梶本義衛の証言により真正に成立したと認められる乙第八号証の一、二、第一〇ないし一二、一四号証、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる甲第一七、一九、二〇号証、乙第一八号証、証人梶本義衛、同倉本昌明及び同今井勝行の各証言を総合すれば、以下の事実を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
1 原告は、昭和四二年四月に徳島大学大学院医学研究科博士課程に入学して梶本義衛教授の薬理学教室に所属したが、原告としては、将来精神科の研究に進みたい意向もあつて、薬物による中枢神経系への影響、行動に対する影響などをテーマとして研究したい希望を有しており、一方、梶本教授としては、自分が研究対象としていたことに関する別のテーマで原告が研究することを望み、原告にもそれを勧めたものの、原告が自己の希望テーマに強く執着し、同教授自身、原告の希望テーマが自分の専門に関連がないわけではないから指導も可能であろうと考え、原告がその希望する右テーマで研究することを了承した。
2 そして、原告は、薬理学教室の学生と同様にまず一般薬理学の勉強を一年位することとし、原告の指導には、主として同教室の倉本昌明助教授が当たることとなつたが、総括的指導者は、主任教授である梶本教授が務めることになり、入学後一年位の間は右一般薬理学の勉強に当てられたが、以後は原告のテーマに沿つてDサイクロセリンに関する研究のための実験が始められ、原告の研究活動は徐々に進行した。そして、原告の研究態度、修学状況は、後記昭和四四年四、五月頃までは、普通の学生と同じような状態といえるものであつた。
3 ただ、この間の昭和四二年二月頃に原告が右実験を基にして梶本教授に提出したレポートは、その記載方法において、通常の学生のそれに比しかなり雑なものであり、内容においても未だ論文として不十分なものであつたうえ、通常の学生であれば研究結果を梶本教授に報告する場合には、同教授とも研究上の相談、意見交換をし、その指導を受けるのが普通であつたところ、右レポート提出に当たつては原告は、単にこれを同教授の机上に置いて行くだけで、その内容等につき同教授に相談することなどはせず、同教授との疎通は十分でなかつた。
4 そのうち、昭和四四年四月頃から徳島大学医学部では医局講座制度反対などのストライキ(修業放棄)の動きが現れ、同年七月一二日には一部学生らによつて基礎医学棟が封鎖されるなどいわゆる大学紛争が表面化したが、原告も右紛争に積極的に関与し、同年四、五月頃から原告の修業態度は非常に悪化した。すなわち、薬理学教室への出校は、普通の学生と異なり、全く自分勝手なものとなり、基礎医学棟封鎖が同年八月二日に解除されて右封鎖による研究不能状態が一か月位で終了したのに、相変わらず出校状況は悪く(出校しないこともあつた。)、梶本教授、倉本助教授ら教官との接触は殆どなくなり、従来の研究活動は中断された。もつとも、原告は同年夏頃から同教室の石村泰子助手らが主体となつて始めた抗炎剤の甲状腺に対する影響についての自主研究に参加しはじめ、翌四五年三月頃からは倉本助教授との接触も持つようになつたが、右自主研究は同教室での従来の慣例に反して、指導教官たる梶本教授や倉本助教授に対する相談もなしに勝手に始められたもので、同教室での正常な研究活動とはいいがたく、その他の修業態度すなわち従来のテーマについての研究活動の停止、梶本教授に対する断絶的状態などについては変わるところがなく、倉本助教授が原告に対し、態度を変えて従来の研究についての論文を作成するよう促しても、これを聞き入れることがなく、一方では、大学紛争に関する活動に時間を割いているという状態であつた。
5 そのうちに原告の最短在学年限四年の期限である昭和四六年三月が近づいて来たので、原告は在学延長を希望する方向で倉本助教授に相談を持ちかけ、同年二月頃に同助教授から梶本教授に右延長についての相談がなされた。梶本教授としては、原告の従前の修業態度から右延長には懸念を抱いたが、原告との話で、原告が従前の態度を変え、同教室での本来の研究活動に復し、真面目に修業するという意向を示したので、原告が研究活動に集中すれば、当時残つていた二〇単位ほどの未修得単位の修得、論文の完成も一年間で可能であろうと考え、右延長希望に沿うこととした。そして、右延長の許可を審議する大学院医学研究科委員会の委員長四方一郎教授も自ら原告の今後の修業態度について右同様の意向を確認したので、右延長許可問題が同委員会にかけられ、同委員会の審議を経て、翌四七年三月三一日までの在学期間延長は許可された。そして、右許可に際しては、四方教授、梶本教授とも原告に対し、右のような経緯で特に許可されたのであるから、今後は指導教官の指導に従つて真面目に修業し、前記未修得単位を修得し、従前の研究についての論文完成に努力するよう注意し、原告もこれを了承した(なお、このとき、他に二人の同科の単位未修得学生についても、最短在学年限を一年超える在学期間延長が許可された。)。
6 しかるに原告は、右在学期間延長後、梶本教授に対して、前記抗炎剤と甲状腺に関する研究をしたいと言い出し(なお、同研究は右延長前の昭和四六年二、三月頃、梶本教授の承認するところとなり、薬理学教室としての正常な研究活動となつていた。)、梶本教授としては、右延長に際して注意したことにも反するので反対したが、原告が従前のテーマについての研究も続行するからと強く要望したので、従前のテーマの研究を続けて論文を完成させることを条件としてこれを認め、原告も右条件を承諾した。
ところが原告は、その後右抗炎剤と甲状腺に関する研究活動は続けたものの、右約束に反し従前のテーマに関する研究活動は一切せず、梶本教授、倉本助教授が再三これを注意しても聞かず、また出校状況についても、午前一〇時ないし一二時頃に出校することが多いなど相変わらずの就学態度であつて、総じて、前記延長に際しての注意を遵守する意思が見受けられない状況であつた。
7 また、この間の昭和四六年一〇月頃、倉本助教授が原告に、研究結果の一部についてでも同年一一月の薬理学会に発表してはどうかと勧めたが、原告はこれに応じなかつた。一般に、学会発表をすることは、研究者としてそれなりの評価を受けることでもあり、通常の学生であれば、大学院入学後二、三年目位から年に二回位は学会発表をするのが普通であるところから、これ以前にも梶本教授、倉本助教授は、たびたび原告に学会発表を勧めて来たのに、原告は入学後五年間遂に学会発表をすることがなく、かかることは今まで例がないことであつた。もつとも、倉本助教授の強い勧めもあつて、原告は前記延長後の在学期限の経過後である同四七年四月に至つてやつと学会発表をしたが、それは前記石村助手を主体とするところの抗炎剤と甲状腺に関する研究の共同研究者の一人としてのものに過ぎず、原告自身の従前からのテーマに関する発表は遂になかつた。
8 在学期間延長後の推移は以上のとおりであつたところ、延長後の在学期限も近づいてきた段階で、原告は右延長時の未修得単位二〇単位ほどのうちなお二単位を残しており、かつ、未だ論文作成にまで至つていなかつた。そこで原告は更に一年間の在学期間の再延長を希望して、倉本助教授にも相談し、梶本教授にも指導教官としての了承を求めた。梶本教授としては、前記延長後も原告が同教授らの注意に従わなかつたなどの前記のような原告の修業態度から、右再延長に対しては非常に消極的で、原告とも意見が合わなかつたが、ともかくも、在学期間延長手続上必要な延長願書中の指導教官認印欄への押印をし(昭和四七年三月六日頃)、空白の保証人欄には原告の親か倉本助教授に保証人になつてもらつて押印を受けるように原告に告げた。一方、同教授は、医学研究科委員会に議題を提出する前段階の同科系列委員会に右再延長の件をはかつたところ、原告の修業態度については不満だが再延長を認めてやつたらどうかという意見もあつたので、同教授としても原告に対する教育的配慮上再延長を了承することを一旦は考えたが、同月一五日に原告が、右在学期間延長願書上に、当時徳島大学での大学紛争における活動に関し懲戒停職処分中であつた同大学医学部栄養学科助手の山本光代を保証人として学務係に本件申請書を提出したので、これを知つた同教授は、原告に対し、懲戒停職処分中の者を保証人にすることは不適当であるから、保証人を変更して来るようにと注意し、倉本助教授も、自分が保証人になつてもよいとの意向を示して右変更を促したのであるが、原告は頑としてこれを拒絶し、同教授らの注意に従おうとしなかつた。このため同教授としては、かかる原告の態度では今後の指導に責任が持てないとして、前記再延長には賛成できないと考えるに至つた。
9 そして、その後開かれた前記系列委員会において同教授から、当初延長後の一年間の原告の研究成果には見るべきものがなく、なお未修得単位も残つており、研究態度等についても良好でなく指導教官の言には耳も貸さず、再延長の価値がない旨指導教官としての説明がなされ、同委員会としての意見も再延長不適当ということになり、同委員会からその旨の報告を受けた医学研究科委員会(同月二三日開催)でも再延長不承認の議決がなされた。ついで同研究科委員会から、再延長不承認理由書として「一、大学院学生として、指導教官の指導に従わないことがあつた。二、昭和四六年四月一日から昭和四七年三月三一日までの在学期間の延長に際し、医学研究科委員長および指導教官梶本教授から、研究態度等につき厳重な注意を与えたにもかかわらず、これを履行しなかつた。三、昭和四七年四月一日から一年間在学の延長を認めても、成業の見込みがあると考えられない。以上により、教育的見地から在学期間の延長は適当でないと判断された。」との記載文書を添えて右議決を被告に報告し、これを受けた被告は同月三〇日に本件処分をなした。
10 前記5の延長許可を受けた他の二人の学生は、再延長許可申請に及ぶまでもなく単位修得のうえ昭和四七年三月三一日に退学しており、原告のように在学五年に及んでもなお未修得単位が残つているものは、前例がない。
以上の事実が認められ、右事実によれば、原告が第一回の延長を許可されて計五年となつた在学期間内に徳島大学大学院医学研究科博士課程を修了できなかつたことにつき合理的な理由があるとは認められず、また、成業の見込についても、原告が同課程入学当初前記大学紛争が表面化した昭和四四年四月頃までは一応修業に努めていたものの、それまでの原告の研究実績の程度、同年五月頃以降第一回の延長の頃までの原告の修業態度、修業実績、右延長許可に際しての梶本教授らの留意した注意事項についての原告の遵守程度並びに右延長以降再延長の問題が出る頃までの原告の修業態度、修業実績(学会発表の点も含む。)、他の学生らとの比較、再延長申請に際しての保証人問題に関する原告の態度に照らせば、原告が第一回の延長後一八単位ほどの履修を終えて未修得単位は二単位しか残つておらず、抗炎剤と甲状腺に関する研究については多少の成果が見られないわけではないことを考慮に入れても、原告が一年間の再延長在学期間を大学院学生としての本分に則り、指導教官の指導に従つて真面目に当初の研究テーマを中心とする修業に専念し、もつて未修得単位を履修し、かつ、学位論文を作成、提出し、最終試験に合格するとともに、教育研究の指導者たるにふさわしい能力を身につける前示成業の見込は本件処分時においてないものとした被告の判断は相当であつて、その間に裁量権を濫用し、これを逸脱した違法はないものというべきである。
なお、原告は、保証人として、被告から停職処分を受けた山本光代を付したがために本件不許可とされたのは不当であると強調するけれども、前記認定の経緯にみるとおり、原告に在学期間の再延長を許可すべき特別の事情があるか否かの被告の判断は、原告の延長在学期間における修業、研究態度を総合的に評価しているものであつて、右の一事をのみ特別に重視しているものとは到底認められないところであるのみならず、そもそも在学期間延長願に保証人を付し、保証人に保証書を提出させる(本件においては甲第一号証の一、二がこれに当たる)ことは、在学期間中の授業料の支払保証をはじめ当該学生の正常な修学態度、諸規則の遵守意識等学生の教育・研究成果の円滑な確保を保証させるものとして正当な行為であり、かかる目的・機能を有する保証人として、公的機関により停職処分を受けている者を選任又は依頼すること自体、最終的な右処分の結着をまつまでもなく、社会通念上非常識・不適当のそしりをまぬがれず、はたして原告の正常な修学・研究態度を期待できるかどうかを疑問視するのは当然のこととして是認できるし、また、原告の指導主任教授・助教授がかかる見解に立つて原告に保証人を替えるように指導し、助教授自らが保証人となつてもよいとまで言つているのに当初の保証人に固執してその申出を拒絶している前示事情によると、原告と指導教官等教育機関との間には円滑で充実した教育・研究実績を期待できる信頼関係は極めて稀薄なものになつているものといわざるをえないから、前示成業の見込を判断するにあたり、これらの諸事情を消極事情の一つとして評価することは正当であるというべきである。
以上の次第で、原告には大学院学則二〇条二項所定の特別の事情がないとしてされた本件処分は適法であり、原告の主張は理由がない。
四 原告が、請求原因3(三)(1)で主張するように、種々の大学紛争活動をしていたとしても、前示の本件処分理由、処分に至る経緯に照らせば、本件処分が原告主張の趣旨でなされたものと認めるに足りないことは明らかであるから、これが憲法一四条に違反するとはいえず、また、前示の本件許可制度の趣旨、本件処分がなされるに至つた状況に照らせば、本件処分が憲法二三条、二六条、学校教育法六五条に違反し、権利濫用に当たるものともいえないから、原告の右主張はいずれも採用の限りでない。
五 叙上の次第で、本件処分には何ら違法のかどはないというべきであるから、本件処分の取消あるいは無効確認を求める原告の請求はいずれも理由がない。
よつて、原告の請求をいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 岩佐善巳 横山敏夫 山田博)
別紙<省略>